昨日、なんと2025年6月1日、赤岳では降雪があったとかで開山祭は行者小屋で行われたようです。
皆様こんにちは、おさるのもおすけでございます。
6月に降雪は、燕岳から常念に縦走しようとソロで登った時。
テントから覗いたら辺り一面真っ白だったのが6月1日。
アイゼン持ってきてないわーと下山したのでよく覚えてるけど、八ヶ岳で降るとは珍しい。
で、いつ頃だったっけーと探していたら。懐かしい記事にたどり着きました。
同じ燕岳ですが、その降雪の時より後ですが、純ちゃんと登った燕岳。
その時に初めて、よっぺさん夫妻と燕岳で遭遇したんですよねー。
懐かしや。
そして最近、地味に過去記事の手直しをしております。このブログの一番最初から。
白馬山荘日記ともおすけ日記vol・1は手付かずですが。
改行やキャプションの手直しやリンク切れなど、地味~な作業を夜な夜なしております。
で、昔の記事読んで、若かったなぁ、と。
でもって、職場のスタッフも山友達も面白い人ばっかりだったなぁ、と。
老後の楽しみが、このブログを一から読み返すことなので今はその手直し、というのもありますが最近はスマホで見る方が多いので、改行など読みづらさを解消させております。
で、本日は完結編。
ただ下るだけ、の下山編でございます。
2024年9月25日 西穂から奥穂へ・念願のジャンダルム踏破へ!?・完結編
2024年9月27日 AM5:07 夜明け前
今日も朝は早い。
ササッと朝食を済ませ、テント撤収する。山頂からのご来光を目指す登山者のヘッデンの明かりが小さく列をなしていた。

今日もあそこをトライする人達がいるのよね。

私達以外にも、テラスには準備している人達が。
ありがとう、穂高岳山荘さん。

夜明け前。向こうの山にも山小屋の灯りが見えている。

これ、昔からすっごく嬉しくなるんだよなぁ。
嗚呼、あんなに遠い山の上でも同じ様に人がいて明かりが灯されてるんだぁ、って。
そんなことを思いながら、下山開始。
谷間の向こうには笠ヶ岳が。

あっという間に小屋は見えなくなってしまう。急な谷間だ。

ここのルート、通ったことあったっけかなぁ。そんな事を話しながら降りていく。
向かい、山で会ったおじさんに『どこの山を登ったかわからなくなるからメモしておいた方がいいよ。』と言われ、そんな風になる?と思ったのだが。
なります。
もう何回登ったかわからなくなってる山や、いつ登ったかとか誰と登ったかわからなくなってる山もたくさんある。
だから備忘録も兼ねてこの日記をつけてるわけですが、更新追いつかなくて数年すっ飛ばしてます。
で、ずっと急なので小休止。

徐々に空も明るくなって。

ここを登りにするのも、なかなかハードよねぇ、と話しながら降りていく。

また休憩。

のんびり景色を眺めながら歩けるこの安心感。昨日は皆無。

で、どんどん標高を下げていき、鎖場へ出ました。

ここではっきりと自覚。『うん、アタシここ通ったことない!こんなの記憶ないから。』
最後にまだ、こげなアトラクションがあったとは。
鉄板の足場と鎖で降りていきます。

トモさん&よっぺさん三部作。


うん、撮ってる。

トラバースの鎖場も結構あったりして、何だ最後まで気が抜けないじゃん!って思いました。

今日はもう下るだけ、と二足歩行と決めてかかっていたもおすけには、最後まで試練と感じました。

たしかに。
そして毎回、こてんぱんにやられてる気がするわ、私。
途中のきのこに癒やされながら。

やーーーーっと、白出沢分岐まで下りてきました。まだここからも距離はあるので、ザックを置いて小休止。

ほほぅ、こうなってるのね。
多分。
多分、私は南岳小屋への南沢ルートも通ったことないと思う。
『私と一緒に行ったじゃん!』という友達がいたら教えて下さい。
槍は、みゆきんぐと通ったことあるんだけどな、他がうろ覚えよ。

この後、無事に新穂高まで下山して車を回収(トモさんが取りに行ってくれた・感謝!)
温泉&ご飯はラーメンを。

家に帰って、山のような洗濯物をして。
床にゴロンと寝そべれば、いろんな風景が瞼に浮かぶ。
すごかったなー。
あんな所、通ったんだー。
私にとっては大冒険の西穂~奥穂の大縦走。ずっと怖くて緊張の連続だった。
でもなぜか終わってみると、楽しかったと思うのだから山って不思議だ。
トモさん&よっぺさん、3日間ありがとうございました!
そしておじさんから頂いた、例のパン。
美味しいコーヒーと一緒にご褒美に食べたくって、持ち帰ってコーヒー淹れて、しみじみ味わいながら、稜線を思い出しながらご褒美パンとして頂きました。

終わってみれば楽しかった3日間。
次はどこに行こうかなー。
明日の休日、どこに行こうか悩むもおすけでした。
<完>
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