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登山も高齢者介護も。フルスロットルで生きていく

もおすけです。
流石に今回は疲れましたー。

そしてまたしても帰り道の高速は、一人反省会でした。

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認知症の母と必ず一回は喧嘩してしまう愚かな娘

先週の遠征後からガッツリ仕事し、片付けもそのままで今度は実家へ。
車に登山の洗濯物その他全てを積み込んで、実家で洗濯機3度回す。

実家での生活は、毎回お茶飲む時間もない位、バタバタと忙しい。
で、その合間に母から九官鳥トーク(同じことの繰り返し)の質問が。
それに同じく、九官鳥トークで私が答える。

これはいいのだ。全くしんどくない。
毎回新鮮な顔して聞いてくる母は、可愛いとさえ思う。

問題は、さすが断捨離アンの娘を持つ我が母。最近ガンガン物を処分しているのだ。
何でも溜め込んで汚部屋にするよりはずっといいのだが、自分で捨てておきながら ふと思い出した時にそのモノがないと、それらは全て『もおすけが捨てたor持って帰った』となり、私を責めるのだ。
コレを繰り返しやられると、流石に腹が立ってくる。

でも。

84歳で、認知症でありながらも未だに家計簿を付け、年間支出表まで書き出している母。
人に迷惑をかけるのが嫌で、自分のことはきちんと自分でしたい自立心の強い人なので、薬やお金を人に管理してもらっている事、何かにつけて覚えていない事、探しても見つけきれない。
それら全てが、苛立ちの原因なのだろう。
きっと無意識に『もおすけの仕業』にする事で、自分を納得させたいのだと思う。
それがわかっているのに、何度説明しても納得したくない様子で責められ続けると、こちらもついつい安い喧嘩を買ってしまう。
大抵、一回の帰省で一回は喧嘩している気がする。

そして、冒頭の帰りの高速道路の上で『もおすけ一人反省会』となるのだ。

後悔のない介護なんてない、と思っている

ですが、もおすけは知っています。

頑張らなくていい介護なんて無いってこと。
後悔しない介護なんて無いってこと。
自分を責めすぎるのは良くないってこと。
・子供は、親の犠牲になり過ぎてはいけないってこと。
・そして自分の人生も満喫させなくてはいけないってこと。

ちゃんとわかってる。

それでも。

きちんと頭では整理できている現実や感情でも、あれこれ溢れ出し、帰りは泣きながら運転する時もままある。
でもそれすらも、自分の心身のコントロールには必要だということ。

私は介護が出来る事自体、幸せな事だと常々思っています。
世の中には、そんな時間さえ与えられる暇なくお別れしてしまった人や、予期すら出来ずに事故や災害に遭われてしまった人も、どれだけ多いことか。
そして今はまだ、そんな風に思える程度の介護で済んでいることも。
全てがラッキーだと思ってます。
介護する側が壊れそうになるほど、壮絶な状況も沢山あるのが現実ですから。

高齢者介護や人生が大変だからこそ山に登る

信州が大好きで、好きでやってる遠距離介護。
せっかく実家に戻らずに、まだこっちに住まわせてもらえる環境だからこそ、出来る限り山に登りたい。

とかアレコレ考えながら走っていると。
思考はまた吹っ飛んで。

介護や人生そのものが大変な時ほど、もおすけは山をお勧めしたくなる。
日本総国民、山登ればいいのに、とさえ思ってしまふ。
山やってる人なら共感して下さる方もいらっしゃるかと思いますが、山行く前は億劫になったりそんな気分になれなくても(しょっちゅうサボり病)、登ったら『嗚呼、やっぱり来てよかった。』と思っている自分がいる。

だから少々疲れていても、私は体に鞭打って登っているのだ。
時間は限られている。
人生、常にフルスロットルだ!
そしてこうしてここで書き連ねる事でも、すっかり元気になってる単純な作りのもおすけなのです。

ですので、木&金曜日がお休みの皆さーーん!
もおすけと一緒に山に行こーーーーーッ!

と、またしれっと山行報告をうっちゃりましたが、それもまたアタシなので。
どうかお許し下さい。

次回こそは!

続き書きますっ!

そして来月こそは、母の安い喧嘩は買わないぞ!と心に誓うもおすけでした。

残雪のテン泊したいよー。

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